現地の食・文化・習慣に慣れること
報告者:田中将太
今回は,僕がイキトスで「何をしていたのか」を紹介したいと思います。
イキトスの2年間は,大きく4つの期間に分けることができます。
①現地の生活に馴れ親しむ・現状を知る
②活動の提案をする・自身の活動をする
③学生の仲間を作る
④現地の大学生にノウハウを伝える
まずは、①の赴任から3ヶ月間のお話です。
僕は環境教育隊員として、イキトスにあるペルー国立アマゾン大学に配属になりました。
カウンタパートと呼ばれる現地の協力者(パートナー)と一緒に活動します。
僕のパートナーはジョリーという環境教育専門の大学講師でした。
非常に情熱にあふれ、いつもエネルギッシュで、感情をストレートにぶつける、嵐の様な人でした。
そんな彼女のパワフルさに振り回され、そして助けられました。
僕はもともとファシリテーションなどを学んでいたため、「インタラクティブ(相互作用)な教育を広める」ことを目的としてイキトスへ派遣されたことに,ある程度自信もありました。
しかし、現地についてみると言語の壁があり,やりたいことが全くできません。
環境教育どころか、現地の人たちとのコミュニケーションすらままならない状態でした。
ペルー国立アマゾン大学は,日本人ボランティアを受け入れるのが初めてだったため、彼らも「日本人ボランティアに何を頼めばよいのか」分からない状況だったと思います。
また、現地のニーズや課題がわからない状況で活動を始めても、僕の自己満足で押しつけがましい活動になってしまう、とも思いました。
そのため、最初の3ヶ月は「現地の食・文化・習慣」に慣れる期間にしよう、と決めました。
隊員として環境教育に関する提案を少しづつ行うために、同僚との信頼関係作りや,現地の環境問題とそれに対する意識などを知ることに注力しました。
イキトスに慣れるために、現地の食材は何でも食べ、パートナーのジョリーが進める活動を積極的に手伝いました。
また、環境教育に関する活動以外に、大学が所有する農作地の肥料散布なども手伝いました。
しかし,与えられる仕事はどれも「これって、インタラクティブな教育を広めることに繋がるのかな?」と疑問を持つものばかりでしたし、農作業に関して専門性も無いため、「これをやる為に来たんだっけ?」と悩む日々でした。
こうした活動をずっと続けるだけではいけない、と思っていました。
文章ではサラッと書いていますが、環境教育の普及のために来ているのに、それとは関係のない活動を「環境教育」の名の下に手伝っている自分が嫌でした。
しかし,こうした中でも、やりがいを感じて息抜きになった活動がありました。
それは,所属する大学の学生達を対象に「日本語教室」を毎週開催したことです。
これは、ジョリーの「日本語教室やってみれば良いじゃん!」の一言ではじまったものです。
普段の仕事とは別の活動ができて、とても良い息抜きになりました。
そして、この日本語教室を通じて、ペルーの学生が日本をどのように見ているのか?どのよような事に興味をもっているのか?などを発見することができました。
具体的には、アジア人とは一つの国の人のように見られていました。
「ジャッキーチェンは日本人?」とか「ネコ食べるんでしょう?」とか.
その国の一部を切り取ったニュースがSNSに流れるため、そんな片寄った印象を作るのかな、と思っていました。
日本の文化で最もイキトスに浸透しているものは、アニメかもしれません。
アニメの話によって学生との距離が縮められたと思います。
町で売られている家電製品や携帯電話のほとんどは、中国や韓国産のもので、日本のことは想像以上に知られていないのです。
ちなみに、SamSungも日本製の携帯電話だと思っている人がたくさんいました。
こうして,日本語教室を通じて現地の彼らを知り,たくさんの友人ができたことが大きな財産です。帰国後も連絡を取り合うほど,彼らとは仲良くなりました.
イキトスに赴任した最初の3ヶ月間は、現地の文化・人・習慣を知る期間でした。個人的な意見ですが、最初はそれくらいのほうが良いかもしれません。
2年間しか居ない外国人が突然来て、言葉もよく通じないまま自分たちのやり方を否定し、「正しいやり方」を押しつけてきたら..
そんなやりかたは上手くいくのでしょうか?
結果は見えているような気がします。
「これをやらなくちゃ!!」と意気込んで活動を進めるのではなく、現地の人達の考え方、仕事の進め方を尊重し、ただしヨソ者という立場もうまく利用して、現地の人達だけでは進めにくいことを一緒にやっていく。
その土台が出来た、大切な最初の3ヶ月間です。
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